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  • 人はなぜ「美」に惹かれるのか — 心身医学と、LIVELIAの「心身美学」

    人はなぜ「美」に惹かれるのか — 心身医学と、LIVELIAの「心身美学」

    LIVELIA JOURNAL / SOUND・ART・PHILOSOPHY

    同じ雨音を、心地よいと感じる日もあれば、寂しく感じる日もある。ある旋律には足を止めるのに、別の旋律は、そのまま通り過ぎていく。

    私たちは、音や光や色に囲まれて生きています。けれど、そのすべてに同じように心を動かされるわけではありません。

    人はなぜ、「美」に惹かれるのでしょうか。

    美しさは、目の前のものが備えている性質なのか。それとも、それに出会う私たちとの関係のなかで生まれるのか。この記事では、心身医学、美学、身体性、神経科学の視点を手がかりに、LIVELIAが「心身美学」と呼ぶ表現の試みについて考えます。

    1. 心と身体を、切り離さずに見る

    心身医学は、心と身体の関係を科学的に研究し、医療に生かす学問です。日本心身医学会は、身体面だけでなく、心理・社会・環境面も含めて人を捉える、全人的な視点を説明しています。[1]

    ここで大切なのは、身体の不調を、心だけの問題に置き換えることではありません。身体と心理、生活、人間関係、周囲の環境を、互いに関わるものとして見ていく姿勢です。

    LIVELIAがこの視点から受け取るのは、人を一つの要素だけで説明しないという態度です。ここから先は医療の議論を離れ、日々の経験に目を向けます。

    人を取り巻く環境を考えるなら、部屋に差し込む光、耳に届く音、目の前に置くものも、問いの対象になるのではないでしょうか。これは心身医学の結論ではなく、そこに着想を得た、LIVELIA自身の問いです。

    2. 美は、どこにあるのか

    結晶の規則正しい形。雨ににじむ街の灯り。終わったあとも耳に残るピアノの一音。

    それぞれに、形や色、響きといった特徴があります。しかし、特徴を説明することと、なぜ自分が惹かれたのかを説明することは、同じではありません。

    同じ鉱物を前にして、透明度に惹かれる人もいれば、内包物や複雑な成長の跡を選ぶ人もいる。完璧な対称性より、少し崩れた造形に目が離せなくなることもあります。

    美とは何か。それが対象の側にあるのか、受け取る側の経験なのか。この問いに、一つの答えを急ぐ必要はないでしょう。LIVELIAはまず、何に惹かれたのかを、自分の感覚で確かめることから始めたいと考えます。

    3. 私たちは、身体をもって聴いている

    音楽を聴くことは、旋律を頭の中で理解することだけでしょうか。

    椅子に腰を下ろし、音の距離を感じる。鍵盤から音が離れ、部屋のなかで薄れていくのを待つ。音のない間にも、次の響きを待っている自分に気づく。

    ここでいう「身体性」とは、私たちが身体のある場所から、世界に触れているという視点です。美的経験を、頭の中の採点だけで考えないための手がかりになります。

    何を聴くかに加えて、どこで、どのように、その時間を過ごすのか。LIVELIAが音と映像、光や空間を一緒に考えるのは、作品と出会う場まで含めて、一つの経験になると考えているからです。

    4. 美を感じるとき、脳では何が起きているのか

    この問いを、脳の働きから調べる研究領域が「神経美学」です。2014年の総説では、美的経験を、感覚・運動、感情・価値づけ、意味・知識に関わる複数の神経システムの相互作用から捉える枠組みが示されています。[2]

    2011年には、21名が絵画と音楽を評価する実験で、両方の美的経験に関連する活動が、内側眼窩前頭皮質という脳領域で重なると報告されました。[3]

    ただし、この結果を「美を感じる場所が一つ見つかった」と読むことはできません。限られた参加者と刺激、実験条件から得られた、脳活動と主観的評価の関連です。美の唯一の原因や、万人に共通する美の基準を決めたものではありません。

    また、2012年の絵画を用いた研究では、強く心を動かされた作品を見たとき、自分自身について考える働きとも関係する脳のネットワークに、特徴的な反応が報告されています。[4]

    美しさの経験に、その人にとっての意味が関わる可能性。研究は、そうした問いにも近づいています。しかし、脳の反応を記録できることと、一人の人がなぜその作品を大切にしたのかを理解することの間には、まだ距離があります。

    5. 音楽は、時間と記憶のなかで響く

    音楽には、次の音を待つ時間があります。続くと思った旋律が止まり、予想しなかった和音が現れ、やがて元の響きに戻る。その移り変わりも、聴く経験の一部です。

    2011年の研究では、音楽による強い快感とドパミン放出の関係が報告され、期待している段階と、感情が頂点に達する段階で、関わる脳領域に違いが示されました。これは特定の条件下での音楽の快に関する知見であり、「意外な音を入れれば美しくなる」という作曲の公式ではありません。[5]

    一方、懐かしい曲から、ある時期や人物を思い出すこともあります。音楽と自伝的記憶、つまり自分の人生に関わる記憶との結びつきも、研究されています。[6]

    同じ曲でも、聴く人が重ねる時間は違う。同じ人でも、今日と数年前では、聴こえ方が違うかもしれない。

    その違いを、作品の良し悪しや、感受性の優劣だけで片づけたくはありません。音楽に出会うとき、私たちは自分自身の時間も一緒に聴いているのかもしれません。

    6. LIVELIAが考える「心身美学」

    ここまでの研究紹介を踏まえ、ここからはLIVELIAの表現思想について述べます。

    心身美学とは、人が「美しい」と感じる経験を、心と身体、そして音・光・色・映像・空間との関係から考える、LIVELIAの思想的・表現的な試みです。

    心身医学の全人的な視点、美学の問い、身体を通じた経験、そして美的経験を探る研究に着想を得ています。それぞれを一つの理論として統合したという意味ではありません。

    心身美学は、医学でも、新しい治療法でもありません。学術的に確立した学問領域を名乗るものではなく、心身医学から医学的に導かれた理論でも、神経美学そのものでもありません。紹介した研究によって、LIVELIAの作品の効果が検証されたという意味でもありません。

    私たちが形にしたいのは、感じ方を決める仕組みではなく、聴く人、見る人が、自分の感覚に出会える余白です。

    鉱物は、光を受けることで、それまで見えていなかった表情をあらわします。音楽との出会いも、自分のなかにある、まだ言葉にならないものへ目を向けるきっかけになるかもしれません。これは科学的な説明ではなく、LIVELIAが大切にしている比喩です。

    7. 問いを、ピアノだけで置いてみる

    今回、その問いに一つの形を与えた作品が、ピアノソロ「心身美学」です。

    心身美学 — The Aesthetics of Mind & Body

    言葉で意味を説明する代わりに、音の立ち上がり、重なり、消えていくまでの時間に耳を澄ませる。何を感じるかを、聴く人の側に残しておく。

    この記事で紹介した研究を再現する実験として制作したものではありません。答えを示す代わりに、問いを音として置いてみる。そのような表現として、お届けします。

    8. 思考の続きに、音を聴く

    美しさは、音のなかにあるのか。それとも、音と出会う、その時間に生まれるのか。

    考えることを、少しだけ聴くことへ。画像をクリックすると、公式YouTubeで「心身美学」をお聴きいただけます。

    Beyond the Rain/心身美学 — 画像をクリックしてピアノソロを公式YouTubeで聴く
    心身美学|The Aesthetics of Mind & Body — Piano Solo
    SOUND LOUNGE by LIVELIA

    ▶ 心身美学を公式YouTubeで聴く ↗

    何も浮かばなくても、途中で別のことを考えても、そこに正しい聴き方はありません。その時間に、何が聴こえたでしょうか。

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    参考資料

    1. 日本心身医学会「日本心身医学会とは」。心身医学と全人的医療の位置づけ。
    2. Chatterjee, A., & Vartanian, O. (2014). Neuroaesthetics. Trends in Cognitive Sciences, 18(7), 370–375. doi:10.1016/j.tics.2014.03.003.
    3. Ishizu, T., & Zeki, S. (2011). Toward A Brain-Based Theory of Beauty. PLoS ONE, 6(7), e21852.
    4. Vessel, E. A., Starr, G. G., & Rubin, N. (2012). The brain on art: intense aesthetic experience activates the default mode network. Frontiers in Human Neuroscience, 6, 66.
    5. Salimpoor, V. N., et al. (2011). Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music. Nature Neuroscience, 14(2), 257–262.
    6. Janata, P. (2009). The Neural Architecture of Music-Evoked Autobiographical Memories. Cerebral Cortex, 19(11), 2579–2594.

    本記事はLIVELIAの文化・表現に関する記事です。特定の医療機関による発信・監修記事ではなく、診断・治療の助言を目的とするものではありません。

    執筆:KAZ|LIVELIA JOURNAL

  • なぜ、音は心を動かすのか — 予測・記憶・身体性から考えるSOUND LOUNGE

    なぜ、音は心を動かすのか — 予測・記憶・身体性から考えるSOUND LOUNGE

    SOUND LOUNGE / LIVELIA JOURNAL

    執筆:KAZ|文献に基づく批評的論考

    要旨

    音楽が心を動かす経験は、楽曲に含まれる感情がそのまま聴き手へ移送される出来事としては捉えきれない。本稿は、音楽の情動機構、期待、報酬、自伝的記憶、身体反応、個人差に関する研究を選択的に検討し、音楽体験を「音の構造と、聴き手の履歴・状態・文脈との関係」として考察する。研究が示す機構の説明と、作品が一人の人に持つ意味の解釈を区別したうえで、SOUND LOUNGEの制作方針を、感情の指定ではなく、聴き手が意味を形成できる余白の設計として提示する。

    キーワード:音楽と感情/音楽的期待/報酬/自伝的記憶/身体性/SOUND LOUNGE

    1. 問題設定——「言葉だけでは届かない」とは何か

    ある旋律に、理由を説明するより先に足を止める。長く忘れていた場面が、一つの和音をきっかけに戻ってくる。言葉にすると輪郭が変わってしまう経験を、音楽のなかで受け取ることがある。

    SOUND LOUNGEが掲げる「言葉だけでは届かないものを、音で」は、音楽が言語より優れた伝達手段だという主張ではない。言語と音楽の担う働きが、完全には重ならないという制作上の立場である。言葉は出来事を特定し、理由を説明し、他者と検討するために不可欠だ。一方、音楽は、まだ何と呼ぶか決まっていない感覚の推移を、時間のなかに置くことができる。

    本稿の問いは「音楽は何を伝えるか」だけではない。音が、どのような条件のもとで、その人にとって意味のある経験になるのか。この問いに対して、実証研究が答えられる部分と、作品の解釈として残る部分を分けて考えたい。

    本稿の範囲:以下は、主に2008〜2019年の代表的な理論・原著研究を選んだ非網羅的な文献検討である。系統的レビュー、メタ解析、新たな実験研究ではなく、研究領域の最新知見全体を代表するものでもない。新規データや独自の統計解析は行っていない。

    2. 表現される感情と、経験される感情を分ける

    「悲しい曲だと分かる」「聴いて悲しくなる」「悲しさを含むその曲を好む」は、それぞれ異なる判断である。作品に感情を読み取ること、聴き手自身に感情が生じること、経験を価値あるものとして評価することを、同じ指標として扱うべきではない。

    JuslinとVästfjällは、音楽による情動を単一の経路で説明することを批判し、反射的な反応、学習された連合、感情伝染、心的イメージ、エピソード記憶、音楽的期待などを区別する理論枠組みを提示した。これは、すべての経路がすべての曲で同時に働くと確定した説明ではなく、反応が生じる機構を分けて検証するための提案である。[1]

    この区別を制作に引き寄せれば、悲しさを表現した曲をつくることと、全員を悲しませることは一致しない。そこで重要になるのは、感情を一つに揃える精度ではなく、音の構造、作品の意図、聴き手の経験を混同しない精度である。

    3. 期待と驚き——「意外だから快い」では足りない

    音楽は、すでに鳴った音を保持しながら、まだ鳴っていない音を待つ経験でもある。Cheungらは西洋ポップスの和声進行を用い、行動実験39名、別のfMRI実験40名で、予測の不確実性と実際の和音の意外性を検討した。快の評価は「意外性が高いほどよい」という単純な関係ではなく、二つの要因の組み合わせに依存していた。[2]

    次を予測しやすい文脈では意外な和音が、予測しにくい文脈では予想に沿う和音が、より快いと評価される傾向が報告された。ただし、統計モデルが推定する予測可能性は、各人の頭の中の予測を直接測定したものではない。対象も特定の和声体系と刺激条件であり、あらゆる文化や楽曲への普遍的な作曲則とはいえない。[2]

    制作への含意は、驚きを増やすことではない。繰り返しによって何を予期させ、どこで変化させ、どの程度の時間を待たせるかという、文脈の組み立てにある。ここから先は研究結果そのものではなく、KAZによる制作上の解釈である。

    4. 報酬の機構を知ることと、価値を説明すること

    音楽の快をめぐる研究は、報酬に関わる神経機構を調べてきた。2011年の研究では、強い情動的高まりを伴う音楽聴取と線条体のドパミン放出が関連づけられ、期待と情動の頂点に関わる部位の違いが報告された。[3]

    さらにFerreriらの2019年の研究では、解析対象27名の二重盲検・クロスオーバー実験で、薬理学的操作によって音楽の快感と動機づけが変化した。観察的な脳画像研究に対し、機構への介入を行った点で、因果的関与を検討する一段強い設計である。[4]

    それでも、この実験は「音楽の価値はドパミンで尽くせる」と示したものではない。薬理作用の特異性、参加者の選択、測定された快感と動機づけの範囲を考慮する必要がある。また、健康への長期的利益や、特定作品の治療効果を検証した研究ではない。[4]

    経験が成立する機構と、その経験を大切だと考える理由は、異なる水準の説明である。一曲を繰り返し聴く理由には、快だけでなく、理解し直したいこと、忘れたくない時間、その人にとっての作品の位置づけもあるだろう。これは、神経科学と競合する説明ではなく、別の問いへの応答である。

    5. 記憶——音のなかに、誰の時間があるのか

    Janataの研究は、過去のポピュラー音楽を手がかりにした自伝的記憶と、内側前頭前皮質などの活動との関係を検討した。参加者は13名で、事前の研究で音楽による記憶想起が比較的多くみられた大学生が選ばれていた。この選択条件は、結果を一般化する際に重要である。[5]

    この研究を「音楽が誰の記憶でも同じように呼び戻す」と読むことはできない。しかし、音楽を聴くことが、音の分析にとどまらず、自分の人生に関わる情報との接続を含みうることを考える、具体的な手がかりにはなる。[5]

    制作する側は、その人がどの記憶を重ねるかをあらかじめ知ることはできない。作者にとっての雨が、聴き手には旅先の窓や、もう会えない誰かの声を思わせるかもしれない。こうした読解のずれを、伝達の失敗としてのみ評価する必要はない。作品の意味が、受け取る側でも形成されるという、表現の条件として扱える。

    6. 身体性——反応があることと、その意味は同じではない

    身体性とは、ここでは聴く経験を、抽象的な判断だけに限定しない視点を指す。音の強さ、リズム、姿勢、聴取空間に触れながら、その場にいる身体を伴って聴いているということである。これは本稿の概念的な整理であり、特定の生理指標から感情の内容が一意に判定できるという意味ではない。

    Lundqvistらは32名を対象に、楽しさ・悲しさを表す楽曲を聴取した際の自己報告、顔面筋活動、自律神経活動を調べ、複数の反応の対応を報告した。音楽聴取が、感情を「理解する」だけでなく、感情を「経験する」出来事になりうることを支持する研究である。[6]

    一方で、皮膚電気反応などの変化だけから「感動」「悲しみ」「安心」を読み分けることはできない。反応の有無、その人の自己報告、刺激条件を合わせて検討する必要がある。この慎重さを欠くと、測定可能なものだけを経験の本体とみなす、別の単純化が起きる。

    7. 個人差は、平均からの誤差なのか

    音楽が広く好まれるという事実から、すべての人が同じ程度に音楽的快を経験すると推論することはできない。Mas-Herreroらは、音楽の知覚能力や金銭的報酬への反応が保たれている一方、音楽から得る快が小さい人々を報告した。音楽への反応と一般的な報酬反応が、必ずしも一体ではないことを示す知見である。[7]

    これは、音楽に強く反応しない聴き手に、感受性の欠如という評価を与える根拠にはならない。研究上の分類を、そのまま日常の人格評価へ移すことはできない。

    また、先に紹介した研究は、和声の快、選択された楽曲による強い情動、音楽と記憶など、それぞれ異なる対象を測っている。その違いを消して「科学が証明した音楽の力」と一括することは、説明力を高めるどころか、知見の射程を見失わせる。

    8. 研究から導けること、導けないこと

    研究の焦点支えられる理解そこからは言えないこと
    期待と意外性 [2]特定の和声文脈で、両者の組み合わせが快の評価に関わる万人に通用する「感動する和音」の存在
    報酬への介入 [4]実験条件下での音楽的報酬へのドパミンの因果的関与作品の美的価値の序列や健康効果
    自伝的記憶 [5]選択された参加者で、音楽と個人的記憶の結びつきを検討できる誰にでも起きる記憶改善
    身体反応 [6]自己報告と生理・表出反応を併せて情動を検討できる生理反応だけによる感情内容の一意な判定
    個人差 [7]音楽的快を、一般的報酬反応と区別する必要がある反応が弱い人の人格・感性への否定的評価

    本稿の限界は、代表的な研究を選択して論じていること、研究ごとの測定対象が異なること、文化・年齢・聴取状況を横断する網羅的比較を行っていないことにある。したがって、本稿は音楽体験の統一理論を提示するものではない。

    9. SOUND LOUNGE——感情を指定せず、経験の条件を整える

    ここからは実証研究の報告を離れ、LIVELIAの制作思想を述べる。研究結果は作品を正当化する証明書ではない。研究を読むことで、むしろ作者が決められる範囲と、聴き手に委ねる範囲が明確になる。

    作者は、音の並び、響きの密度、反復、間、映像との関係を選べる。しかし、そこに誰の記憶が重なり、何が大切に感じられるかまでは決められない。SOUND LOUNGEでは、この非対称性を制作の前提に置く。

    第一に、時間の構造をつくる。変化を詰め込み続けるのではなく、すでに聴いたものと、これから聴くものの関係が感じられる構成を目指す。「間」は、特定の心理作用を保証する技法ではなく、聴く時間をどう扱うかという選択である。

    第二に、音と映像を一つの文脈として考える。同じ感情を重ねる必要はない。明るい景色と寂しさを含む旋律のように、異なる方向を持ちながら、作品としての関係が成立する場合もある。ここでいう整合性は、研究によって効果が検証された設計則ではなく、制作・編集上の判断基準である。

    第三に、受け取り方を指定しない。作品紹介は、どこを聴くかの手がかりを示す。しかし「ここで感動してほしい」という感情の正解まで置かない。解釈を開くことは、構成を曖昧にすることではない。作者の選択を丁寧にしたうえで、聴き手の意味形成を独占しないという態度である。

    LIVELIAが心身美学と呼ぶ試みも、人と感覚環境の関係を考える、この制作姿勢に接続している。心身美学はLIVELIAの思想的・表現的な概念であり、確立した学問や治療理論を意味しない。概念の位置づけは、心身医学と心身美学についての論考で詳しく述べている。

    10. 結論——意味を渡すのではなく、意味に出会う時間を

    音楽の情動的経験には、予測、報酬、記憶、身体反応、個人差という、異なる水準からの説明がある。どれか一つを、その人の経験の全体に置き換えることはできない。

    本稿の立場は、音楽を神秘化することでも、神経反応へ還元することでもない。測定によって近づける問いを尊重しながら、測定だけでは尽くせない、作品と人生の関係を考えることである。

    SOUND LOUNGEがつくりたいのは、作者の感情をそのまま受け取るための容器ではない。聴き手が、自分の時間との関係を見いだせる作品である。

    言葉だけでは届かないものを、音で。
    それは、説明を諦めるための言葉ではない。説明できるところまで考えたあとにも残る経験に、表現として向き合うための言葉である。

    音を聴く——論考の続きとして

    公開中のピアノソロ「心身美学」を、ここに置く。この作品は、上記研究の追試でも、特定の反応を生じさせるための介入でもない。本稿で述べた制作姿勢を、一つの作品として受け取っていただくための入口である。

    心身美学 — ピアノソロ。画像から公式YouTubeへ
    心身美学|The Aesthetics of Mind & Body — Piano Solo

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    参考文献

    1. Juslin, P. N., & Västfjäll, D. (2008). Emotional responses to music: The need to consider underlying mechanisms. Behavioral and Brain Sciences, 31(5), 559–575; discussion 575–621. doi:10.1017/S0140525X08005293. 理論枠組み。
    2. Cheung, V. K. M., et al. (2019). Uncertainty and Surprise Jointly Predict Musical Pleasure and Amygdala, Hippocampus, and Auditory Cortex Activity. Current Biology. doi:10.1016/j.cub.2019.09.067. 行動実験・fMRI研究。
    3. Salimpoor, V. N., et al. (2011). Anatomically distinct dopamine release during anticipation and experience of peak emotion to music. Nature Neuroscience, 14(2), 257–262. doi:10.1038/nn.2726. PET・fMRI研究。
    4. Ferreri, L., et al. (2019). Dopamine modulates the reward experiences elicited by music. Proceedings of the National Academy of Sciences, 116(9), 3793–3798. doi:10.1073/pnas.1811878116. 二重盲検・クロスオーバー介入研究。
    5. Janata, P. (2009). The Neural Architecture of Music-Evoked Autobiographical Memories. Cerebral Cortex, 19(11), 2579–2594. 原著本文. fMRI研究。
    6. Lundqvist, L.-O., Carlsson, F., Hilmersson, P., & Juslin, P. N. (2009). Emotional responses to music: experience, expression, and physiology. Psychology of Music, 37(1), 61–90. doi:10.1177/0305735607086048. 自己報告・表情筋・自律神経指標を用いた実験。
    7. Mas-Herrero, E., Zatorre, R. J., Rodriguez-Fornells, A., & Marco-Pallarés, J. (2014). Dissociation between musical and monetary reward responses in specific musical anhedonia. Current Biology, 24(6), 699–704. doi:10.1016/j.cub.2014.01.068. 個人差・報酬反応の比較研究。

    執筆情報

    執筆:KAZ|LIVELIA Founder / Curator。KAZは本記事で紹介するSOUND LOUNGEの制作・発信主体であり、本稿はその作品紹介を含む。本稿はLIVELIA JOURNALの論考で、学術誌の査読を経た論文ではない。掲載文献は本稿またはLIVELIA作品への学術的承認・監修を意味しない。

    改稿日:2026年10月19日。本稿は文化・音楽表現に関する考察であり、診断・治療・健康効果の助言や保証を目的としない。